喜びに変わる瞬間。

両親からのテーマは本当に大きくて、大きいからこそ変容した時の嬉しさは計り知れないものがあります。

今までもずっとあるテーマだったけど、

一気に去年の12月から両親を通じて同じようなテーマを二人から感じていて

承認欲求や責めるジャッジするテーマがありました。

父が、テレビを観ていて誰かをジャッジしている場面があり

連日ジャッジが続くと「私が言われているように感じて腹が立つ」ことがある。

私は「皆努力して頑張っているんだからすごいじゃん!」と思う。

感じた怒りを出して、ハートで内観を始めて

「私の何に触れて怒りを感じているのだろうか?」

父は、私のことをジャッジしているわけではないのに、私が言われているように感じるのはなぜか?

古いソートフォームがかなりあるので、内観やヒーリングをしながら

私が続けたことは、

私が私にジャッジし続けてきた事柄に対して、ハートの中にいる私に誠実に謝罪し続けたこと。

努力したことなど全てを無かったことにさせて、ジャッジしたこと。

神聖な愛の光で当時の私を包み込んで愛で続けたこと。

そして私の中にある「褒められないといけない・褒めないとけない」という思い込みが

テレビに出ている方たちと自分を投影させていて、私の承認欲求が大きく父のジャッジが許せなく怒りを感じてきたこと。

そうして内観・ヒーリング古いソートフォームや過去生 色んな角度から見てあげて

そうすると

父はテレビに出ている方たちをジャッジすることは、少なく感じ(私が気にならなくなってきた)

むしろ讃える、その方たちを理解する表現にも私は感じられてきました。

個人の感想や価値観があるし、考え方も信じてきていることも違うし

私がジャッジに注目しているからこそ、この部分ばかりが気になり怒りが増幅していったのです。

顕著に父の反応が変わって見えて、本当に素晴らしい!

脆弱なところだからこそ、誠実に大事に優しく包み込んで、愛にしていけるのが

本当に嬉しいこと!!

よくやったじゃん私!!と思っていたところ

母から見せられる承認欲求も連動していました。

それは次のブログ